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老化した血液細胞「CHIP」と「TI-CH」:がんを悪化させる微小環境

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Pich, Oriol et al. “Tumor-Infiltrating Clonal Hematopoiesis.” The New England journal of medicine vol. 392,16 (2025): 1594-1608. doi:10.1056/NEJMoa2413361

老化とがんの関連性は長年知られてきましたが、本研究は、私たちの血液細胞に生じる遺伝子変異が、単なる老化現象にとどまらず、がん細胞の増殖を積極的に手助けしているという状態を明らかにしました。

キーポイント

  • 予後の悪化: 肺がん患者において、「TI-CH」と呼ばれる現象は、がんの再発または死亡のリスクを大幅に高める独立した要因であることが明らかになりました。
  • 特定の遺伝子変異: 特にTET2という遺伝子に変異を持つ血液細胞(骨髄系細胞)は、他の変異を持つ細胞よりも腫瘍内に侵入しやすい性質を持つことが示されました。
  • がんの増殖を促進: TI-CHは、腫瘍を取り巻く「微小環境」をがん細胞が育ちやすいように変化させ、その増殖を直接的に促進するメカニズムを持っていることが実験で証明されました。

1. 老化に伴う血液の変化「CHIP」と「TI-CH」

がんの治療の標的は、長らくがん細胞そのものでした。しかし、近年は、がん細胞が孤立して存在するのではなく、常に周囲の細胞と相互作用しながら増殖していく「微小環境」を形成していることが明らかになっています。

「CHIP(意義不明のクローン性造血)」は、加齢に伴って多くの人の血液中に見られるようになる状態で、特定の遺伝子変異を持つ血液細胞のクローンが増えていく状態です。CHIP自体は血液のがんではありませんが、将来的に特定のがんを発症するリスクを高めることが知られていました。

しかし、研究者たちはさらに一歩踏み込んだ問いを立てました。それは、「CHIPによって生じた変異血液細胞が、腫瘍の内部にまで侵入した場合、がんの進行にどのような影響を与えるのか?」というものです。本研究では、この「変異した血液細胞、特に骨髄系細胞が腫瘍に浸潤した状態」を新たに「TI-CH(Tumor-Infiltrating Clonal Hematopoiesis)」と定義し、TI-CHが患者の予後にどのような影響を与えるのかを調べました。

2. TI-CHはがん患者の予後を著しく悪化させる

TRACERx研究に参加した421人の非小細胞肺がん(NSCLC)患者を分析した結果、次のような事実が判明しました。

  • CHIPを持つ患者のうち、実に42%もの人にTI-CH、つまり腫瘍内への変異血液細胞の浸潤が見られました。
  • TI-CHを持つ患者は、CHIPを持たない患者と比較して、死亡または再発のリスクが1.80倍に増加していました(調整後ハザード比)。これは、年齢、性別、喫煙歴、病期といった他のリスク要因の影響を取り除いて比較してもなおこれだけの差が見られたという意味です。
  • さらに重要なのは、CHIPを持っていても腫瘍内への浸潤がない「血液のみのCHIP」患者と比較しても、TI-CH患者のリスクは1.62倍高かったことです。この結果は、単にCHIPがあること以上に、変異細胞が腫瘍内に『侵入する』という現象そのものが、がんを悪化させる上で決定的な役割を果たしていることを示しています。

この発見の重要性は、肺がんだけに留まりません。研究チームは、約5万人の患者を含むMSK-IMPACTという大規模なデータを用いて、75種類ものがんを横断的に調査しました。その結果、TI-CHは特定のがん種に限られない「汎がん現象」であることが明らかになったのです。CHIPを持つ患者全体の26%でTI-CHが見られ、特に頭頸部がんや膵臓がんで多く、一方で前立腺がんや子宮内膜がんでは少ない傾向がありました。そしてこの広範な患者集団においても、TI-CHは全死亡リスクを有意に高める要因となっていました。

これらの発見は、将来、がんの予後を予測する際に、腫瘍の性質だけでなく、患者の血液を調べてTI-CHの有無を確認することが極めて重要になる可能性を示唆しています。

3. 腫瘍への侵入を促すTET2遺伝子変異の役割

CHIP関連遺伝子を詳細に分析した結果、特定の遺伝子が腫瘍への侵入と関連していることが明らかとなりました。

  • TET2遺伝子の変異が、TI-CHの最も強力な遺伝的予測因子であることが判明しました。
  • 約5万人のがん患者を含むMSK-IMPACTコホートのデータでも、TET2変異を持つCHIP患者がTI-CHを発生させる頻度(32%)は、ASXL1変異(32%)と並んで最も高く、他の主要な変異(例:DNMT3Aで25%、PPM1Dで13%)と比較して顕著に高いことが示されました。

この結果は、TI-CHが決してランダムに起こる現象ではなく、TET2遺伝子に変異を持つ骨髄系細胞は、何らかの理由で腫瘍環境に引き寄せられやすい、あるいは腫瘍内で生き残りやすいという「選択的なプロセス」が存在することを示唆しています。実際に患者の腫瘍組織を詳しく調べると、TI-CHを起こしているのは主に単球やマクロファージといった骨髄系の免疫細胞であり、T細胞のような他の免疫細胞はほとんど関与していないことも分かりました。

4. TI-CHは腫瘍の微小環境をどう変えるか

研究チームは、マウスモデルや最先端の培養技術を用いて、以下のことを明らかにしました。

  • マウスモデル実験: マウスにTet2遺伝子変異を持つ血液細胞を移植し、肺がん細胞を植え付けました。すると、この変異を持つ単球は、正常な細胞よりも優先的にがん組織に向かって移動し、腫瘍内でマクロファージとして蓄積することが確認されました。
  • がんオルガノイド実験: 次に、より直接的な証拠を得るため、患者由来のがん細胞から作製した「オルガノイド」を用いました。これは、試験管内で患者のがん組織を立体的に再現する最先端技術であり、実際の体内で起こっていることに極めて近い現象を観察し、因果関係を直接的に証明することを可能にします。この実験で、TET2変異を持つヒトの骨髄細胞と一緒に培養したがんオルガノイドは、正常な骨髄細胞と培養した場合に比べて、より大きく増殖しました。

これらの実験結果より、TI-CHは単に腫瘍内に存在するだけではなく、TET2などの変異を持つ骨髄系細胞は、積極的に腫瘍細胞が育ちやすい微小環境を作り出し、その増殖を促進していることが示唆されました。

結論

本研究は、加齢に伴い血液中に生じる遺伝子変異が、TI-CHという現象を通じて、がんの進行を加速させる重要なカギであることを明らかにしました。これは単なる老化現象の一つではなく、がん患者の予後を左右する、これまで見過ごされてきた現象です。がん治療の標的を腫瘍そのものから、血液細胞の遺伝子異常も含めた総合的なものへと広げる可能性を示唆しています。