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ありふれた糖尿病治療薬メトホルミンが血液がんの前駆状態を抑制する可能性

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Hosseini, Mohsen et al. “Metformin reduces the competitive advantage of Dnmt3aR878H HSPCs.” Nature vol. 642,8067 (2025): 421-430. doi:10.1038/s41586-025-08871-wHosseini, Mohsen et al. “Metformin reduces the competitive advantage of Dnmt3aR878H HSPCs.” Nature vol. 642,8067 (2025): 421-430. doi:10.1038/s41586-025-08871-w

加齢とともに、私たちの体内で進行する変化があります。それは「クローン性造血」と呼ばれ、特定の遺伝子変異を獲得した血液幹細胞が、正常な細胞を凌駕して増殖していく状態を指します。この状態は、それ自体が病気ではありませんが、白血病などの深刻な血液がんや炎症性疾患のリスクを高める存在です。しかし、Nature誌に掲載された研究により、最も一般的な糖尿病治療薬の一つであるメトホルミンMetforminが、この細胞の勢いを食い止める可能性が示されました。

キーポイント

  • 一般的な糖尿病治療薬であるメトホルミンが、クローン性造血の一般的な原因であるDNMT3A R882変異を持つ幹細胞の競争上の優位性を抑制することが発見されました。
  • 変異した幹細胞は、過剰に活性化したエネルギー代謝(ミトコンドリア呼吸の増加)によって優位性を獲得しており、メトホルミンはこの代謝を阻害します。
  • メトホルミンの作用機序として、細胞内の根本的なエピジェネティックなエラーを修正し、変異細胞に有利に働いていた変化を効果的に逆転させることが明らかになりました。

1. 忍び寄るリスク「クローン性造血」とメトホルミン

クローン性造血とは、特定の遺伝子変異を獲得した単一の造血幹細胞(HSC)が、他の正常な幹細胞よりも優位に立ち、その子孫(クローン)を増やしていく状態です。この現象を引き起こす最も一般的なドライバー変異は、DNMT3Aという遺伝子に生じます。この状態にある人は、急性骨髄性白血病(AML)のような血液がんや、その他の加齢に伴う炎症性疾患を発症するリスクが高まることが知られています。

ここで登場するのが、世界中で広く使用されている抗糖尿病薬のメトホルミンです。本研究の大きな発見は、メトホルミンが、問題となるDNMT3A R882変異(マウスではDnmt3aR878Hに相当)を持つ造血幹細胞の競争上の優位性を著しく低下させたことです。

2. 変異幹細胞の異常活性化:過給されたエネルギー代謝

研究チームは、Dnmt3aR878H変異を持つ造血幹細胞および前駆細胞(HSPCs)が、正常な細胞と比較してミトコンドリア呼吸(酸化的リン酸化、OXPHOS)が亢進していることを発見しました。これは一種の代謝リプログラミングであり、細胞を異常活性化状態にすることで、エネルギー産生を劇的に高めます。

マウスモデルを用いた実験では、この変異細胞が高い酸素消費率(OCR)を示すことが確認されました。さらに、変異細胞はミトコンドリア由来の活性酸素種(ROS)のレベルが高く、ミトコンドリア膜電位と質量の比率も増加していました。これらのデータは、変異細胞のミトコンドリアが異常に活性化していることを示す強力な証拠となり、この代謝ブーストこそが、変異細胞が正常な細胞よりも増殖するために不可欠な要素であることが証明されました。一方でこのエネルギー産生の亢進は変異細胞の弱点ともいえます。

3. メトホルミンの単なるエネルギー遮断にとどまらない多角的なメカニズム

研究により、メトホルミンの二つの主要な作用機序が特定されました。

  1. 直接的な阻害:メトホルミンは、ミトコンドリアの電子伝達系複合体Iの既知の阻害剤です。これにより、変異細胞で亢進しているOXPHOSを直接的に抑制し、エネルギー産生を低下させます。
  2. エピジェネティックな修復:さらに、メトホルミン治療が変異HSPCs内の「メチル化ポテンシャル」(SAM/SAH比)を増加させます。これは細胞がDNAやヒストンに重要な化学的タグ(メチル基など)を付加する能力を高めることを意味します。

このメカニズムの証拠として、メタボロミクスやRNAシーケンスなどの多角的なオミクス解析が行われました。その結果、メトホルミンで処理された変異細胞では、メチル基の供与体であるSAMの産生に不可欠な一炭素代謝に関連する遺伝子の発現が上昇していることが明らかになりました。

4. 異常なエピジェネティック状態の正常化

メトホルミンによってもたらされたメチル化ポテンシャルの増加は、Dnmt3aR878H変異細胞の異常なエピジェネティックプロファイルを正常な状態へと逆転させました。主な修復点は以下の二つです。

  • 局所的なDNA低メチル化の是正:変異細胞では、正常細胞と比較してメチル化レベルが異なる領域の、実に85.6%が異常に低いメチル化状態(低メチル化)にありました。しかし、メトホルミン治療はこれらの欠陥領域の90.9%でメチル化レベルを増加させ、正常な状態に近づけることに成功しました。
  • ヒストンH3K27トリメチル化(H3K27me3)の回復:変異細胞では、遺伝子発現を抑制するこの重要なヒストンマークが減少していましたが、メトホルミンはこれも正常なレベルに戻しました。

このエピジェネティックな「リセット」は、最終的に変異幹細胞の競争上の優位性を抑制し、正常な細胞のように振る舞わせることとなります。

5. マウスからヒト細胞へ:臨床応用への期待

研究チームは、ヒトのHSPCsでDNMT3A R882変異をモデル化するために、二つの先進的な手法を用いました。

  1. shRNAによるDNMT3Aノックダウン:RNA干渉技術を用いてDNMT3A遺伝子の発現を抑制し、酵素活性が低下した状態を模倣しました。
  2. 高精度な「プライム編集」:健康なヒト臍帯血幹細胞に、ゲノム編集技術を用いて正確にDNMT3A R882H変異を導入しました。この最先端技術が選択されたのは、従来のCRISPR-Cas9法と比較して、脆弱な造血幹細胞に対する細胞毒性や遺伝毒性が低いためです。

これらのヒト細胞を用いた実験により、メトホルミンはDNMT3A変異を持つヒト細胞の競争上の優位性と増殖をin vitro(試験管内)で効果的に抑制し、マウスでの研究結果がヒトにも応用可能であることを強く裏付けました。

これらの結果は、古くからある薬剤が、加齢に伴う疾患の予防という全く新しい役割を担う可能性を力強く示唆しています。

結論

本研究は、安全性が確立された一般的な糖尿病治療薬であるメトホルミンが、血液がんの前駆状態であるDNMT3A R882変異クローンの拡大を抑制するという、強力な前臨床エビデンスを提供しました。この発見は、単にエネルギー代謝を標的とするだけでなく、細胞の根本的なエピジェネティックな異常を修復するというメカニズムに基づいています。

これらの前臨床での発見は、近年のヒト集団データによっても後押しされています。最近発表されたデンマークの大規模な後ろ向き研究では、メトホルミンの使用が、骨髄増殖性腫瘍の発症リスク低下と相関していることが報告されました。

既存の安全な薬剤を再利用することは、がんやその他の加齢性疾患を、発症する前に予防するための鍵となる可能性があるかもしれません。