自らの免疫細胞を遺伝子改変し、がん細胞を狙い撃ちする「生きた薬」として、多発性骨髄腫をはじめとする血液がんの治療に革命をもたらしたCAR-T細胞療法。『New England Journal of Medicine』に、治療のために投与されたCAR-T細胞そのものが、ごく稀に新たながん(二次性T細胞リンパ腫)へと変貌する事例を報告しました。これは、最先端治療の複雑さを理解する上で、極めて重要な報告と言えるでしょう。
キーポイント
- 「cilta-cel」を受けた患者の一部で、投与されたCAR-T細胞自体が原因となる二次的なT細胞リンパ腫が発生しました。
- この新たながんの発生は、治療によって作られたものではなく、患者が治療を受ける何年も前から体内に潜んでいた「TET2」という遺伝子に変異を持つ「がんの種」が、CAR-T技術によって増幅されたことが主な原因である可能性が示唆された。
- これは極めて稀な事象であり、治療の有益性はリスクを上回るものの、がん治療の未来に向けた新たな課題と、より安全な治療法開発の重要性を示している。
1. 治療が新たながんを生むというパラドックス
CAR-T細胞療法が難治性のがん治療に大きな希望をもたらした一方で、医療界は新たに見つかった深刻な副作用と向き合っています。
今回報告されたのは、第3相臨床試験「CARTITUDE-4」に参加した2人の多発性骨髄腫患者のケースです。彼らはcilta-cel(シルタセル)というCAR-T細胞療法によって、「厳格な完全寛解(stringent complete response)」を達成し、「微小残存病変(MRD)陰性」という、極めて深い治療効果を得ました。しかしその後、末梢性T細胞リンパ腫・非特定型(peripheral T-cell lymphoma–not otherwise specified; PTCL-NOS)と診断される、異なるがんを発症したのです。そして、遺伝子解析の結果、この新たながんは投与されたCAR-T細胞自身に由来することが確定しました。
この事態を重く見た米国食品医薬品局(FDA)は、この種の治療法全体に対し、最も重い警告である「黒枠警告(black-box warning)」(医薬品の添付文書で、生命を脅かす可能性のある重篤な副作用のリスクを強調する最も強い警告)を発出しました。しかし、このリスクの背景を理解するためには、その発生頻度を正確に把握することが重要です。2023年12月の時点で、FDAが把握しているT細胞悪性腫瘍の発生は、米国で投与されたCAR-T療法の総数27,000回以上に対し、22件でした。治療の光の裏に潜む、この極めて稀な有害事象は、一体どのようにして生まれたのでしょうか。
2. 「がんの種」は治療の何年も前から存在した
今回の調査で最も重要な発見は、CAR-T細胞ががん化したという事実そのものよりも、その原因にありました。それは、治療によってゼロからがんが生まれたのではなく、患者の体内に元々潜んでいた脆弱性に起因することを示唆しています。
ゲノム解析の結果、両患者とも、CAR-T療法を受ける約2年前(患者1は2年前、患者2は22ヶ月前)の時点で、ごく微量ながらTET2という遺伝子に変異を持つT細胞を体内に保有していたことが判明しました。これが意味するのは、CAR-T細胞を製造する過程で、患者から採取したT細胞の中に、この欠陥のある「がんの種」が偶然含まれてしまった可能性です。
そして、この「がんの種」にがん細胞を攻撃するCARが搭載され、体内に戻された結果、本来なら休眠状態にあったかもしれない変異細胞が、強力な増殖能力を獲得。最終的に悪性のリンパ腫へと変貌を遂げたと考えられます。この発見は、「治療ががんを創り出した」のではなく、「治療が、隠れていた既存のリスクを増幅させた」という、全く新しい視点を提供するものです。
3. 本当の原因?「遺伝子挿入変異」という謎
遺伝子治療には、古くから懸念されているリスクがあります。それは「遺伝子挿入変異」と呼ばれる現象で、治療用の遺伝子が宿主細胞のDNAの危険な場所に挿入され、意図せずがん遺伝子を活性化させてしまう可能性です。研究チームは、この可能性についても詳細に調査しました。
解析の結果、CAR遺伝子が挿入された場所は患者ごとに異なっていました。
- 患者1:
PBX2と呼ばれる遺伝子の中に挿入されていた。 - 患者2: がん抑制遺伝子としてよく知られるクロマチン制御遺伝子
ARID1Aの中に挿入されていた。
特に患者2のケースは懸念を抱かせるものでしたが、研究者たちは極めて慎重な結論を下しており、「直接的な証拠がないため、遺伝子挿入変異がT細胞リンパ腫の発生に寄与したかどうかは、現時点では不明である」と報告しました。これは、遺伝子挿入という事実は注目に値するものの、それ自体が決定的な原因とは断定できず、むしろ先に述べた既存のTET2遺伝子変異の方が、がん化の主要な引き金であった可能性が高いことを示唆しています。
4. 複数の要因が重なったことによる最悪の事態
複雑な生命現象が単一の原因で起こることは稀です。TET2変異という「がんの種」が土壌にあったところに、複数の他の要因が重なることで、発がんという最悪の事態が引き起こされたと考えられています。TET2変異に加え、以下のような要因が複合的に作用した可能性が指摘されています。
- 過去の治療歴 (Previous Treatments) 両患者はCAR-T療法を受ける前に、メルファラン、レナリドミド、シクロホスファミドといった、二次がんのリスクを高めることが知られている薬剤による治療歴がありました。
- ウイルス感染 (Viral Infections) リンパ腫が発見される直前の時期に、患者1は新型コロナウイルス(COVID-19)に、患者2はパルボウイルスB19に感染していました。これらのウイルス感染が、変異細胞にとって「増殖しやすい環境(growth-permissive environment)」を作り出した可能性があります。
- 遺伝的素因 (Genetic Predisposition) 患者1は、
JAK3という遺伝子に、確定はできないものの、がん化に寄与した可能性のある生殖細胞系列の変異(親から受け継がれる遺伝子変異)を持っていました。
これらの複数のリスク要因が重なり合った結果、極めて稀な二次性がんの発症につながったと推察されます。
結論:希望と警戒のバランス、そして未来への問い
今回の報告で明らかになったCAR-T細胞由来のT細胞リンパ腫は、非常に稀な事象です。進行性の多発性骨髄腫のような生命を脅かす疾患に苦しむ患者にとって、CAR-T療法がもたらす救命的な恩恵は、依然としてこのリスクを上回ると考えられます。
しかし、この画期的な研究は、次世代のがん治療に向けた重大な課題を浮き彫りにしました。それは、「いかにして、治療を始める前に患者自身の細胞に潜むこれらの隠れた『がんの種』をスクリーニングで特定し、そのリスクを管理あるいは回避する治療戦略を立てられるか?」という問いです。この問いに答えることができれば、革命的な治療法を、さらに安全なものへと進化させることができるでしょう。