多発性骨髄腫(Multiple Myeloma: MM)の治療は、革命的な進歩の時代を迎えています。BCMAやGPRC5Dといった特定の分子を標的とするCAR-T細胞療法、二重特異性抗体(Bispecific Antibodies: BsAbs)、抗体薬物複合体(Antibody-Drug Conjugates: ADCs)などの革新的な免疫療法が次々と登場し、これまで治療が困難であった再発・難治性の患者さんにも新たな希望をもたらしています。しかし、この治療選択肢の増加は、臨床現場に「選択肢の多さ」という新たな課題を突きつけています。これほど強力な武器を、どのような順番で、どのタイミングで使うのが最も効果的なのか?最適な使用順序(シーケンス)の確立は、患者さんの予後を最大化するための喫緊の課題となっています。
この複雑な問題に対し、欧州骨髄腫ネットワーク(European Myeloma Network: EMN)が発表した最新のガイダンスに基づき、臨床医が知っておくべき最も重要かつ実践的な4つの戦略的知見を示します。
キーポイント
- CAR-T療法を優先する戦略: 多くの場合、BCMAを標的とするCAR-T細胞療法は、他の免疫療法に先駆けて使用することが、その後の治療効果を最大限に引き出す上で推奨される。
- 「標的スイッチ」の有効性: ある標的(例:BCMA)に対する治療後に再発した場合、同じ標的を狙い続けるのではなく、異なる標的(例:GPRC5D)に切り替える「ターゲットスイッチ」がより効果的である。
- T細胞を休ませる「治療間隔」: 特に二重特異性抗体を連続して使用する場合、T細胞の機能回復を促すために一定の「無治療期間」を設けることが、次の治療効果を高める鍵となる。
1. CAR-T療法を最優先すべき理由:先行治療がもたらす深刻な影響
多発性骨髄腫の治療戦略を組み立てる上で、利用可能な選択肢の中から「最初の免疫療法」として何を選ぶかは、その後の治療経過全体を左右する極めて重要な決定です。EMNのガイダンスが、適格な患者に対してBCMA標的CAR-T療法、特にCilta-cel(ciltacabtagene autoleucel)を初回免疫療法として強く推奨する背景には、先行治療がCAR-T療法の効果に与える深刻な負の影響に関する明確なエビデンスがあります。
先行治療の負の影響
複数の研究が、CAR-T療法の「前に」BCMAを標的とする非細胞性治療(ADCやBsAb)を使用した場合、CAR-T療法の効果が著しく損なわれることを示しています。
この現象はCARTITUDE-2試験のC群のデータで明確に示されました。BCMA標的治療を過去に受けた患者におけるCilta-celの効果は、治療歴のない患者と比較して著しく低下しました。
- ADC先行群: 奏効率(ORR)は61.5%、無増悪生存期間(PFS)の中央値は9.5ヶ月
- BsAb先行群: 奏効率(ORR)は57.1%、PFSの中央値は5.3ヶ月
これは、BCMA標的治療歴のない患者で認められた34.9ヶ月というPFS中央値と比較すると、極めて大きな差です。このデータは、「CAR-T療法は取っておく」という従来の発想が、最良の治療機会を逸することに繋がりかねないことを示唆しています。
科学的根拠
なぜ先行治療がCAR-T療法の効果を減弱させるのでしょうか。主なメカニズムとして、以下の2点が考えられています。
- T細胞の疲弊(T-cell fitnessの低下): 特にBsAbによる持続的なT細胞の活性化は、T細胞を疲弊させます。このT細胞の疲弊は、その後のCAR-T細胞の増殖・殺傷能力を低下させるだけでなく、アフェレーシス(T細胞採取)前にBsAbを投与した場合、CAR-T細胞の製造そのものに失敗するリスクや、規定の品質基準を満たさない製品(OOS)となるリスクを増大させることが報告されており、臨床的に極めて重要な問題です。
- 標的抗原の喪失(Antigen escape): 先行治療の選択圧により、骨髄腫細胞の表面から標的であるBCMA抗原が減少、あるいは消失したクローンが生き残り、増殖してしまう現象です。これにより、後続のBCMA標的CAR-T療法が効きにくくなります。
一方で、重要な例外戦略も存在します。それは、T細胞の採取(アフェレーシス)を済ませた後に、GPRC5Dを標的とするBsAb(タルケタマブなど)を「ブリッジング療法」として使用するアプローチです。この戦略は、続くBCMA標的CAR-T療法の効果を損なうことなく、治療開始までの期間に腫瘍量をコントロールし、むしろCAR-T療法の効果を高める可能性すらあります。
結論として、利用可能な最高の効果を最も良い状態で引き出すために、「CAR-Tファースト」は患者の長期的な予後を最大化するための基本戦略となります。では、そのCAR-T療法が効かなくなった後、次の一手はどうすべきでしょうか。その答えが「標的スイッチ」です。
2. 「標的スイッチ」という次の一手:同じ標的を追い続けない賢明さ
最初の免疫療法で効果が得られなくなった後の「次の一手」の選択は、治療の連鎖を繋ぎ、奏効を維持するための重要な岐路となります。ここで鍵となるのが、同じ標的を追い続けるのではなく、全く異なる標的へと攻撃の矛先を変える「ターゲットスイッチ」という考え方です。EMNのガイダンスは、この戦略の有効性を明確に支持しています。
成功例(BCMA → GPRC5D)
BCMA標的CAR-T療法後に再発した患者に対するターゲットスイッチの有効性は、MonumenTAL-1試験で劇的に示されました。この試験では、GPRC5Dを標的とするBsAbであるタルケタマブ(talquetamab)が投与され、優れた結果が得られています。
- 奏効率(ORR): 72%
- 無増悪生存期間(PFS)中央値: 13.0ヶ月
注目すべきは、先行するBCMA標的CAR-T療法による効果の減弱がほとんど見られなかった点です。これは、BCMAを失った、あるいはBCMA標的療法に耐性となった腫瘍細胞が、GPRC5Dという別の標的は依然として保持しており、そこを突くことで再び治療効果が得られたことを意味します。
困難な例(BCMA → BCMA)
対照的に、BCMA標的CAR-T療法後に、同じBCMAを標的とするBsAb(テクリスタマブなど)を使用した場合、効果は限定的となる傾向があります。MajesTEC-1試験のC群では、BCMA標的CAR-T療法歴のある患者におけるテクリスタマブのPFS中央値は4.4ヶ月でした。これはターゲットスイッチ戦略と比較して明らかに短い期間です。
双方向性の有効性(GPRC5D → BCMA)
この標的スイッチ戦略は、逆の順序でも有効であることが示唆されています。MonumenTAL-1試験の追跡データでは、タルケタマブ(GPRC5D BsAb)治療後に病勢進行した患者に対し、後治療としてBCMAを標的とするBsAbが投与された場合、60.9%という高い奏効率が報告されました。これは、スイッチ戦略が単一方向の解決策ではなく、双方向に応用可能な柔軟なアプローチであることを示しています。
この効果の差は、最初の治療によって引き起こされる耐性メカニズムに起因します。BCMA標的療法を続けると、腫瘍細胞は「抗原喪失」(BCMAの発現低下)や、T細胞からの攻撃を回避する能力を獲得することで耐性を持ちます。また、T細胞側にも「T細胞疲弊」が生じます。ターゲットスイッチは、これらの耐性メカニズムを回避し、治療効果を再獲得するための最も論理的な戦略です。
このように、「標的スイッチ」は耐性を克服し、治療の選択肢を途切れさせないための標準的な考え方になりつつあります。しかし、治療戦略はさらに進化しています。
3. T細胞を「休ませる」インターバルの重要性:攻め続けるだけがよいわけではない
免疫療法、特に二重特異性抗体(BsAb)を連続して使用する場合、効果を最大化するためには「間」の取り方が鍵になるという、臨床的に極めて重要な知見が蓄積されています。常に治療を続けるのではなく、意図的に「BsAbフリーインターバル」を設けることで、T細胞のコンディションを整え、次の治療効果を高めることができるのです。
このインターバルの有効性は、複数の独立した実臨床データによって裏付けられています。ある研究では、先行するBCMA標的療法から次のBCMA標的BsAb(テクリスタマブ)治療までの間隔が9ヶ月以上あった患者群と、9ヶ月未満だった患者群でPFSに顕著な差が認められ、それぞれ8.1ヶ月 vs. 2.5ヶ月と報告されました。別のさらに大規模な509名の患者を対象とした解析でも、同様に9ヶ月を境にPFSが6.6ヶ月 vs. 1.8ヶ月と、顕著な差が示されました。
ただし、EMNは、この「治療間隔の長さ」が、単に生物学的により悪性度の低い(indolentな)疾患の代理マーカーである可能性も指摘しており、解釈には注意が必要です。それでもなお、この知見はT細胞のコンディションを考慮した治療計画の重要性を強く示唆しています。
なぜインターバルが有効なのでしょうか。その背景には、T細胞の生理機能が関わっていると考えられています。BsAbによる持続的な刺激は、T細胞を活性化させる一方で、長期間続くとT細胞を「疲弊」させてしまいます。一定の治療間隔を設けることで、T細胞が長期的な活性化状態から回復し、疲弊状態から脱する機会を得られる可能性があります。これにより、再度BsAbが投与された際に、新鮮な状態で腫瘍細胞を攻撃する能力を取り戻すことができるのです。
この知見は、治療計画の立案に新たな視点をもたらします。単に薬剤を次々と投入するのではなく、T細胞のコンディションを考慮した戦略的な「待ち」や、その期間にT細胞への影響が少ない別の作用機序の薬剤で「橋渡し」を行うといった、より洗練された治療計画が求められるようになります。
免疫療法のシーケンシングは、単なる薬剤の選択リストではなく、その「タイミング」の最適化が不可欠です。この原則は、治療戦略をより個別化し、持続可能なものにするための重要な鍵となります。
4. 復活した薬剤「ベラマフ」の新たな役割と位置づけ
一度は市場から撤退した薬剤が、新たなエビデンスと共に再び重要な治療選択肢として返り咲く――抗体薬物複合体(ADC)であるベランタマブ・マホドチンbelantamab mafodotin(ベラマフ)は、そんなユニークな背景を持つ薬剤です。
ベラマフは単剤療法のDREAMM-3試験の結果を受け、一度は承認が取り下げられました。しかし、その後の2つの第3相試験、DREAMM-7(ボルテゾミブとの併用)およびDREAMM-8(ポマリドミドとの併用)において、標準治療に対する明確な優越性を示し、併用療法として再び承認されるに至りました。
EMNのガイダンスでは、ベラマフ併用療法は特にCAR-T療法の適応がない、またはすぐに利用できない患者にとって重要な選択肢と位置づけられています。CAR-T療法は強力ですが、適応やロジスティクスの問題から、全ての患者がすぐに受けられるわけではありません。そのような状況において、ベラマフ併用療法は「off the shelf(既製品)」ですぐに開始できる有効な治療法です。
併用療法におけるパートナー薬剤の選択には、戦略が求められます。
- 承認された併用療法: DREAMM-7で有効性が示されたベランタマブ・ボルテゾミブ・デキサメタゾン(BVd)療法と、DREAMM-8のベランタマブ・ポマリドミド・デキサメタゾン(BPd)療法が現在の中心です。
- クラススイッチに基づく選択: 薬剤選択は、先行治療への抵抗性に基づきます。例えば、レナリドミドに抵抗性となった患者には、作用機序の異なるプロテアソーム阻害薬をパートナーとするBVd療法が、直近の治療でプロテアソーム阻害薬に曝露された患者には、IMiDをパートナーとするBPd療法が論理的な選択肢となります。
- 患者背景に応じた個別化: 患者個々の特性も重要です。末梢神経障害のある患者には経口薬であるポマリドミドを含むBPd療法が、感染症リスクが高い患者には好中球減少の頻度が低いBVd療法が望ましいなど、患者背景に応じた使い分けが可能です。
ベラマフの選択を考える上で、他の免疫療法との安全性プロファイルの違いは重要な判断材料となります。
- ベラマフ(ADC): 主な副作用は角膜障害であり、定期的な眼科診察が必須です。
- BCMA標的BsAb: 感染症リスクが比較的高く、特に呼吸器・循環器系の併存疾患を持つ患者では注意が必要です。
- GPRC5D標的BsAb: 口腔毒性(味覚異常、口内乾燥など)や皮膚・爪の障害が特徴的です。
これらのプロファイルの違いにより、患者個々の併存疾患や状態に応じた個別化アプローチが可能になります。ベラマフの復活は、CAR-T療法が利用できない場合の強力な代替策を提供すると同時に、安全性プロファイルに基づく個別化治療の幅を広げた点で、治療戦略全体に大きな価値をもたらしています。
結論:シーケンシング戦略が多発性骨髄腫治療の未来を拓く
今回概説した4つのポイント――「CAR-Tファースト」、「標的スイッチ」、「T細胞の休息」、「ベラマフの再配置」――は、現代の多発性骨髄腫治療が新たなステージに入ったことを示しています。治療の成功は、もはや単一の強力な新薬を導入するだけでなく、それらをいかに賢く、戦略的に順序立てて使用するかにかかっています。患者一人ひとりの病状、治療歴、そしてT細胞の状態までも考慮に入れたシーケンスこそが、治療を個別化し、その効果を最大化するための核心的な要素なのです。
今、私たちの目の前にはさらなる進化の兆しが見えています。BCMAとGPRC5Dの両方を標的とするJNJ-5322 (ramantamig)のような三種特異性抗体は、単剤で100%に近い奏効率を示すなど、驚くべき初期データが報告されています。
これらの多重標的療法は、いずれ私たちが今直面している複雑なシーケンシングの議論を過去のものにするのでしょうか? それとも、絶えず進化し耐性を獲得しようとするがん細胞の前では、私たちは常に新たな戦略を模索し続けることになるのでしょうか?
その答えは未だ誰にも分かりませんが、最適なシーケンスを追求する知的な挑戦こそが、多発性骨髄腫治療の未来を拓いていくことは間違いありません。