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奇跡の癌治療:たった1つの細胞が末期の白血病を完治させた驚きのメカニズム

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Fraietta, Joseph A et al. “Disruption of TET2 promotes the therapeutic efficacy of CD19-targeted T cells.” Nature vol. 558,7709 (2018): 307-312. doi:10.1038/s41586-018-0178-z

CAR-T細胞療法は血液がん治療の切り札となりつつあるが、その効果が一部の患者でなぜ劇的に、そして永続的に続くのかは、科学者たちにとって大きな謎でした。その謎を解く鍵は、一人の患者の体内で起きた、予期せぬ奇跡の中に隠されていたのです。

治療が一度は失敗したかに見えた末期の慢性リンパ性白血病(CLL)患者が、体内に注入された無数の細胞のうち、たった1つの細胞から生まれた子孫によって完全な寛解を達成し、5年以上にわたって健康を維持しているのです。

キーポイント

  • ある慢性リンパ性白血病(CLL)の患者が、体内に注入されたCAR-T細胞のうち、たった1つの細胞の子孫によって完全寛解を達成し、5年以上にわたりその状態を維持している。
  • この驚異的な効果を発揮した「スーパー細胞」は、CAR遺伝子を導入する際に、偶然にもTET2という遺伝子が破壊されたことで生まれた。
  • TET2遺伝子の機能不全は、CAR-T細胞の性質を変化させ、より強力な増殖能力と長期生存能力を持つ「セントラルメモリー」型へと変化させた。
  • この偶然の発見は、意図的にTET2を改変することで、より効果的なCAR-T細胞療法を開発できる可能性を示しており、新たながん治療戦略の扉を開くものである。

1. 劇的な好転:失敗したかに見えた治療から完全寛解へ

科学のブレークスルーは、時に予期せぬ臨床経過から生まれる。今回紹介する78歳の患者(Patient-10)の症例は、まさにその典型でした。本症例の異例とも言える回復プロセスが、後の画期的な科学的発見の出発点となったのです。

この男性は、再発・難治性の進行した慢性リンパ性白血病(CLL)を患い、自身のT細胞を遺伝子改変してがんを攻撃させるCD19標的CAR-T細胞療法(CTL019)の臨床試験に参加しました。

最初のCAR-T細胞注入後、患者はサイトカイン放出症候群(CRS)と呼ばれる強い免疫反応を起こしたが、これを抑えるための治療薬であるIL-6受容体遮断薬が投与されました。しかし、その影響もあってか治療効果は限定的で、注入から6週間が経過しても白血病は進行し続け、治療は成功とは言えない状況でした。研究チームは、この初期治療がCRSを抑える介入によって効果を弱められた可能性を懸念していました。

そこで最初の注入から70日後、残りのCAR-T細胞を2回目として注入しました。2回目の注入後もCRSは発生したが、介入なしで回復しました。しかし、2回目の注入から1ヶ月が経過しても、骨髄は依然として広範囲にわたり白血病細胞に侵されており、CTスキャンでもリンパ節の腫れにほとんど改善は見られませんでした。

誰もが治療の失敗を覚悟しかけた、その時、2回目の注入から約2ヶ月後、事態は劇的に好転したのです。血液中のCAR-T細胞が予期せず爆発的に増殖し始め、それに伴い高熱と強い免疫反応が再び発生しました。そして、その直後から、血液中のがん細胞が急速に消え始めたのです。CTスキャン画像は、かつて顕著だったリンパ節の腫れが劇的に縮小した様子を映し出していました。最終的に、血液や骨髄からがん細胞は完全に消失し、患者は5年以上続く完全寛解を達成したのです。

一度は失敗と思われた治療が、なぜこれほど遅れて、そして強力な効果を発揮したのか。この予期せぬ劇的な回復劇が、研究者たちをその原因究明へと駆り立てる引き金となったのです。

2. 「唯一無二の細胞」:奇跡的な回復の起源を突き止める

通常、CAR-T療法では、注入された多様なT細胞集団が協力してがんを攻撃すると考えられています。そのため、特定の単一細胞の役割を突き止めることは極めて困難であり、前例がありませんでした。

しかし、研究チームが、治療効果がピークに達した時点の患者の血液を詳しく分析した結果、驚くべき事実が判明したのです。体内でがん細胞と戦っていたCAR-T細胞の実に94%が、たった1つの細胞に由来するクローン(遺伝的に全く同一な細胞集団)だったのです。

この事実は、T細胞が持つ固有の遺伝子配列(TCR:T細胞受容体)を解析する技術によって明らかになりました。治療初期の段階では多様なCAR-T細胞が存在していましたが、効果のピーク時には、特定の配列を持つ単一のクローンが圧倒的多数を占めていたのです。これは、これまで報告された40人以上の他の患者で見られた、多数の異なる細胞が働く「多クローン性」の反応とは根本的に異なる、極めて稀な現象です。そして、この発見は、白血病の完全寛解が、たった一つのCAR-T細胞の子孫によって成し遂げられたことを意味しています。

3. 幸運な偶然:スーパー細胞を生み出した遺伝子の「仕掛け」

科学研究の醍醐味は、時に偶然の出来事から普遍的な原理を発見する瞬間にあります。この「スーパー細胞」の誕生秘話は、まさにその好例と言えるでしょう。

研究チームがこの細胞の遺伝子を詳細に調べたところ、その秘密は、がんを攻撃するためのCAR遺伝子をT細胞に組み込む際に使われた「レンチウイルスベクター」の挿入位置にあることが判明しました。ベクターは、偶然にもTET2という遺伝子の内部に挿入され、その機能を破壊していたのです。

TET2遺伝子は、細胞の運命を左右する「エピジェネティクス」の世界で働く、重要な制御因子の一つです。DNAの化学装飾を調整することで、どの遺伝子をオンにし、どの遺伝子をオフにするかを決定する重要な役割を担っており、通常はがんを抑制する働き(がん抑制遺伝子)があることが知られています。

さらに驚くべきことに、この患者は元々、もう一方の(ベクターが挿入されなかった)TET2遺伝子にも、その機能が低下する変異(hypomorphic mutation)を持っていました。つまり、ウイルスベクターによる破壊と、生まれつき持っていた変異という「二重の幸運」が重なり、このCAR-T細胞ではTET2遺伝子の機能が両方のコピーで著しく低下(biallelic dysfunction)していたのです。

この偶然の産物が、がん治療の歴史に残るほどの強力な細胞を生み出しました。TET2という重要な遺伝子が機能不全に陥ったことで、このCAR-T細胞には一体どのような変化がもたらされたのでしょうか。

4. ルールを書き換える:TET2の機能不全はT細胞をどう強化するのか

TET2の機能不全が、なぜこれほどまでに劇的な治療効果をもたらしたのか。その答えは、T細胞の「分化状態」と「機能」の変化にありました。

T細胞は、敵(がん細胞など)を攻撃する準備が整った「エフェクター」細胞へと分化する一方で、自己増殖能力を失っていきます。これまでの治療の成功例の解析から、効果を発揮したCAR-T細胞の多くは、攻撃力の高い「エフェクターメモリー」型であることがわかっています。

しかし、TET2が機能不全に陥ったこのスーパー細胞は、それらとは一線を画していました。この細胞は、より未分化で、自己増殖能力と長期生存能力に優れた「セントラルメモリー」型の特徴を示していたです。

この表現型の変化こそが、持続的な効果の鍵だったのです。セントラルメモリーT細胞は、体内で長期間生き残り、がん細胞に再び遭遇すると爆発的に増殖して攻撃できる、いわば「生きた記憶を持つ薬」としての性質を持っています。TET2の機能不全は、CAR-T細胞を短期決戦型の兵士から、長期にわたり体内をパトロールし続けるエリート部隊へと生まれ変わらせたのです。TET2の機能不全は、細胞の増殖や分化を司る遺伝子群のスイッチを入りやすくする「エピジェネティックな再プログラミング」を引き起こし、細胞をより若く、より持続力のある状態に保ったのです。

この仮説を証明するため、研究者たちは健康なドナーのT細胞を用いて、意図的にTET2の機能を抑制(ノックダウン)する実験を行いました。その結果、患者の体内で起きた現象が見事に再現されました。TET2を抑制したCAR-T細胞は、セントラルメモリー型への分化が促進され、繰り返しがん細胞で刺激しても増殖し続ける能力を獲得したのです。

この一連の発見は、偶然の産物であったスーパー細胞の能力が、TET2の機能不全という明確なメカニズムに基づいていることを証明しました。そしてこの発見は、がん免疫療法を意図的に改良するためのカギとなり得るかもしれません。

結論:がん治療の未来を照らす光

本研究は、一人の末期白血病患者における偶然の発見が、いかにして普遍的な科学的知見へと昇華されたかを示す感動的な物語でした。たった1つのCAR-T細胞が完全寛解をもたらしたという事実は、TET2という遺伝子がCAR-T細胞の有効性を左右する鍵であることを明らかにしました。

この研究成果が持つ臨床的な意義は計り知れません。これまで効果が限定的だった患者に対しても、TET2を標的としてCAR-T細胞を遺伝子操作することで、より持続的で強力な治療効果をもたらす「次世代のCAR-T療法」を開発できる可能性が示されたのです。

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