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新しいDNA修復の「バックアップシステム」:がん治療に新たな標的か?

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Fielden, John et al. “Comprehensive interrogation of synthetic lethality in the DNA damage response.” Nature vol. 640,8060 (2025): 1093-1102. doi:10.1038/s41586-025-08815-4

私たちの体を構成する何兆個もの細胞は、日々、紫外線や化学物質、さらには正常な代謝活動によって引き起こされる絶え間ないDNA損傷の脅威に晒されています。この脅威に対抗するため、細胞は「DNA損傷応答(DDR)」と呼ばれる、複雑なバックアップを備えています。このバックアップシステムの存在が、私たちのゲノムを安定に保つ上で極めて重要なのです。

キーポイント

  • DNA修復の「相互作用マップ」: 科学者たちは、CRISPR技術を用いて548個のDNA修復遺伝子の関係性を網羅的に調査し、約15万通りに及ぶ遺伝子の相互作用マップを初めて作成しました。
  • がんの「アキレス腱」: このマップから「合成致死」という、がん細胞だけが持つ特有の弱点が約5,000件も発見されました。これは、個別には無害な遺伝子欠損が、組み合わさることで細胞死を招く現象です。
  • 細胞の自壊を誘導する新メカニズム: 「合成致死」の組み合わせを詳しく調べた結果、DNA複製の重要なタンパク質(PCNA)が過剰に標識付けされて分解され、細胞死に至るという驚くべき仕組みが一部で存在していることが明らかになりました。
  • DNAの危険な「結び目」を解く仕組み: 別の組み合わせからは、DNAが形成する危険な十字架構造(クルシフォーム)を、二つの異なるタンパク質(FANCMとSMARCAL1)が協調して解消し、ゲノムの安定性を維持していることが判明しました。

1. 未知の領域をマッピング:DNA修復の初の包括的地図

細胞内のDNA修復ネットワークは、無数のタンパク質が関与する複雑なシステムです。これらのタンパク質がどのように相互作用し、ゲノムの安定性を維持しているかを理解することは、がんを始めとする多くの疾患の治療戦略を立てる上で極めて重要です。これまで、個々のDNA修復経路については詳細な研究が進められてきましたが、それらがどのように連携し、互いを補完し合っているのか、その全体像は謎に包まれていました。

本研究チームはDNA修復に関わる548個の主要遺伝子間の遺伝的相互作用を網羅的にマッピングすることを目的に、SPIDRという新しいCRISPRi(CRISPR干渉)スクリーニングを行いました。これは、解析対象のDNA修復システムに余計な損傷を与えないような手法です。これにより、遺伝子を完全に破壊するのではなく、その働きを一時的に抑制することで、細胞が日常的に直面するストレス下(正常な細胞の恒常性維持)でのバックアップシステムを、観察することに成功しました。

約15万通りもの遺伝子のペアを解析した結果、がん治療の標的として特に有望な「合成致死」の関係性が約5,000件も含まれる、膨大な遺伝的相互作用ネットワークが明らかとなりました。研究チームは、この全データをウェブサイト(spidrweb.org)で公開し、世界中の研究者が新たな治療標的を探すための基盤を提供しています。

2. 驚くべき脆弱性:細胞の重要パーツを「自爆」に追い込む方法

研究チームは、マップ上で最も強力な合成致死関係の一つである「FEN1/LIG1」と「WDR48–USP1」のペアに注目しました。FEN1とLIG1はDNA複製の際に生じる小さな隙間を修復する重要な役割を担い、WDR48–USP1複合体はタンパク質のチェックを行います。これら二つの機能が同時に失われると、細胞が死に至りますが、その理由はこれまで明らかではありませんでした。

今回、その原因が細胞による「自爆」であることが明らかとなりました。FEN1/LIG1が欠損すると、RAD18という別のタンパク質が、DNA複製に必須である「PCNA」にユビキチンを付加し始めます。通常であれば、WDR48–USP1がこのユビキチンを素早く取り除きPCNAを保護しますが、このWDR48–USP1も機能しないと、PCNAはユビキチン化が進み、最終的に細胞は自らの必須タンパクを分解してしまうのです。

DNA複製の土台とも言えるPCNAを失った細胞は、深刻な「DNA複製不全」に陥り、細胞分裂の際には染色体間に「超微細架橋」と呼ばれる異常な構造が観察され、分裂後に生まれた娘細胞には「53BP1 body」という形で損傷の痕跡が残ります。

これは、一部の大腸がんなどではFEN1遺伝子に変異が見られるため、がん治療において極めて重要な発見といえます。この研究は、USP1の働きを阻害する薬剤(KSQ-4279など)が、FEN1に変異を持つがん細胞を選択的に殺す上で非常に有効である可能性を強く示唆しています。

3. DNAの結び目を解く:危険な立体構造からゲノムを守るシステム

ゲノムの安定性は、単に塩基配列が正しく保たれることだけでなく、DNAが物理的に正しい三次元構造を維持することにも依存しています。時にDNA自身が形成する異常な構造は、ゲノムの安定性を保つのに大きな脅威となり得ます。DNAは常に美しい二重らせん構造を保っているわけではなく、特定の塩基配列が続く領域では「クルシフォーム」と呼ばれる十字架型の立体構造を形成することがあります。この「結び目」のような構造はDNAの複製を物理的に妨げ、最終的には染色体の切断という致命的な事態を引き起こします。

研究チームは、マップ上で発見されたもう一つの強力な合成致死ペア、「FANCM」と「SMARCAL1」が、この危険なクルシフォーム構造を解きほぐす能力を持つことを明らかにしました。細胞はどちらか一方のタンパクが存在すれば生き延びられますが、両方が失われるとクルシフォームが解消されずにゲノム上に残ってしまいます。すると、ERCC1–ERCC4という別の酵素複合体が、この結び目を修復不可能な損傷と認識して切断し、致命的なDNA二本鎖切断を引き起こすのです。

さらに、この染色体切断は、DNA複製の最終段階である「後期複製領域」で発生することが明らかになりました。これは細胞にとってタイミングが悪く、細胞分裂が目前に迫っているため、この致命的な損傷を修復する時間がほとんど残されていません。その結果、細胞は壊れた染色体を持ったまま分裂せざるを得なくなり、細胞死に至ります。

この発見は、ゲノムの構造的完全性を維持するための、これまで知られていなかった重要なセーフガードを明らかにしたものとなります。この知見は、治療が困難な「トリプルネガティブ乳がん」などでしばしば変異が見られるFANCMを持つがんに対する、新たな治療戦略の可能性を示唆しています。FANCMが欠損したがん細胞において、そのパートナーであるSMARCAL1の働きを阻害すれば、がん細胞だけを選択的に攻撃する、副作用の少ない効果的な治療法の開発につながる可能性があるかもしれません。

結論

今回の研究は、DNA修復という生命の根幹をなすシステムの包括的な相互作用マップを作成しました。本研究が明らかにした二つの具体的なバックアップのメカニズムは、全てのがんに同じ薬を投与する画一的な治療から、個々のがんが持つ特有の遺伝的弱点を狙い撃ちする「個別化医療」への移行を力強く後押しするものとなります。