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がん細胞の「生存戦略」から治療効果を予測する新しいバイオマーカー

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Haider, Syed et al. “The transcriptomic architecture of common cancers reflects synthetic lethal interactions.” Nature genetics vol. 57,3 (2025): 522-529. doi:10.1038/s41588-025-02108-2

がん治療の現場では、長年にわたって「なぜ同じ治療法が、ある患者には劇的に効き、他の患者にはほとんど効かないのか」という疑問があります。この個別差の謎を解き明かす鍵として、近年「合成致死」という概念が注目を集めてきました。これは、がん細胞だけが持つ特定の遺伝的な弱点を狙い撃ちにし、正常な細胞には影響を与えずにがん細胞だけを死滅させるという治療戦略です。しかし、この有望なアプローチを実験室の発見から実際の臨床応用へとつなげるには、大きな壁がありました。本研究では、がん細胞が自身の弱点を補うために用いる「隠れた生存戦略」を解明し、その壁を乗り越える可能性を秘めた新しい指標を示しました。

キーポイント

  • 「バッファリング」戦略:がん細胞は、特定の遺伝子(がん抑制遺伝子)の欠損を補うために、関連する別の遺伝子を過剰に活性化させる「トランスクリプトーム・バッファリング」という生存戦略を持っています。
  • 広範な共通現象:このバッファリングのパターンは、特定のがんに限らず、9,000例以上のサンプルを用いた解析により、多種多様ながんにおいて共通して見られる広範な現象であることが明らかになりました。
  • 治療効果を予測する新指標:この遺伝子発現パターンに基づいて開発された新しい指標(SLMHRDスコア)は、特にトリプルネガティブ乳がんなどにおいて、化学療法への反応性を従来の方法よりも正確に予測する可能性が示されました。

1. 弱点を逆手にとる巧妙な生存戦略

がん細胞は、自身の増殖に不可欠な遺伝子変異を獲得する一方で、その変異がもたらす致命的な弱点も同時に抱え込んでいます。

合成致死:がん細胞だけを狙うアキレス腱

「合成致死」とは、2つの事象が同時に起こることで初めて致死的な結果を招く関係性を指します。多くのがん細胞は、ある遺伝子(例:がん抑制遺伝子)の機能を失っています。この状態でも細胞は生き残れますが、もし、その失われた遺伝子と「合成致死」の関係にあるパートナー遺伝子の機能も同時に阻害されると、がん細胞は生き続けることができなくなり、死に至ります。これが、正常細胞を傷つけることなく、がん細胞だけを選択的に攻撃できる理由です。

弱点を逆手にとる生存戦略:「トランスクリプトーム・バッファリング」

研究チームは、特定のがん抑制遺伝子(TSG)が機能を失ったがん細胞内で、その失われたTSGと合成致死の関係にあるパートナー遺伝子の発現が、逆に異常なほど活発化(過剰発現)していたことを発見したのです。

研究者たちはこの現象を「トランスクリプトーム・バッファリング」と名付けました。この現象は、がん細胞が遺伝的な欠陥という「弱点」を補うために、パートナー遺伝子を過剰に働かせることで、細胞全体の機能バランスを必死に維持しようとする代償的なメカニズムです。

がんに共通する広範な生存戦略

このバッファリング現象は、単なる偶然ではありません。研究チームが9,000例を超えるヒトのがんサンプルを解析したところ、このパターンは非常に多くの種類のがんで確認されました。例えば、RB1遺伝子に欠陥がある乳がんや前立腺がん、CDH1遺伝子に欠陥がある胃がん、PTEN遺伝子に欠陥がある脳腫瘍など、多岐にわたるがんでこの生存戦略が共通して見られたのです。つまり、バッファリングががん細胞に共通する広範な生存戦略であることを示唆しています。

2. 実験室と臨床現場をつなぐ新ツール「SYLVER」

合成致死の研究では、実験モデルで確認された関係性が、必ずしもヒトの腫瘍内で機能しているとは限らないという問題がありました。

膨大なデータを統合し、本質を見抜く

この課題を克服するため、研究チームはSYLVER (SYnthetic Lethal Vulnerabilities Exhibiting Reciprocation) と名付けた独自の計算論的アプローチを開発しました。SYLVERは、2種類の巨大なデータセットを統合し、前述の「バッファリング」パターンを体系的に探索します。

  1. 実験室データ:1,000種類以上のがん細胞株に対するCRISPR遺伝子スクリーニングデータ(DepMapプロジェクト)。
  2. 臨床データ:32種類のがん、9,316人の患者から得られた腫瘍の分子プロファイルデータ(TCGAプロジェクト)。

SYLVERは、これら2つのデータを横断的に解析することで、「ある遺伝子を失った細胞の生存に不可欠な遺伝子」が、「同じ遺伝子を失った実際の患者の腫瘍で過剰発現している」というパターンを網羅的に探し出しました。

研究と実用化の「ミッシング・リンク」

SYLVERによる解析の結果、実験室で見つかった合成致死の関係性が、実際にヒトの腫瘍内で機能していることを示す臨床的な証拠が広範囲に見つかりました。これは、基礎研究と臨床応用をつなぐ「ミッシング・リンク」です。さらに、このツールは研究者が数千もの合成致死ペア候補の中から、臨床的に真に関連性の高いものをふるいにかけ、将来の新薬開発で優先すべき標的を特定するのに役立つ可能性もあります。

統計から実証へ

研究チームは、SYLVERが発見したパターンが単なる統計的な相関ではないことを証明するため、RB1BRCA1/2といった重要ながん抑制遺伝子を精密に操作した「アイソジェニック細胞株」(遺伝的背景が同一で、特定の遺伝子だけが異なる細胞)を新たに作成し、CRISPRスクリーンを実施しました。その結果、大規模データから予測された合成致死の関係性が、これらの管理された実験条件下でも確かに存在することが実証されました。

3. 腫瘍の「現在の状態」を捉え、真に脆弱ながんを見抜く

これまでの分子標的薬は、特定の遺伝子変異を持つがんを標的としてきました。しかし、このアプローチは、変異がないにもかかわらず、変異によってもたらされる状態を示すがんを見逃す可能性がありました。

変異がなくても同じ性質を持つがん:「BRCAness」

がんの中には、特定の遺伝子(例:BRCA1/2)に変異がなくても、まるで変異があるかのように振る舞うものが存在します。これは「フェノコピー」と呼ばれ、その代表例が「BRCAness」です。これらのがんは、DNAの傷を修復する重要な機能(相同組換え修復、HR)が低下した状態(HRD)にあります。

研究チームは、この「BRCAness」のがんにおいて、「トランスクリプトーム・バッファリング」のパターンが顕著に現れていることを発見しました。従来の変異の有無のみを調べるアプローチでは治療対象から外れていたBRCA1/2に変異がないHRDのがん患者も、バッファリングという「腫瘍の現在の状態」を捉えることで、治療対象に含められる可能性が出てきたのです。これにより、治療の恩恵を受けられる患者層が拡大する可能性があります。

4. 新バイオマーカー「SLMHRD」:腫瘍の「過去」ではなく「今」を測る

腫瘍の「今」を映し出すSLMHRDスコア

DNAに残されたゲノムの傷跡は、その腫瘍が過去にHRDの状態にあった可能性を示唆しますが、治療の時点でその弱点がまだ存在するかどうかは保証しません。これに対し、研究チームが開発した「SLMHRDスコア」は、HRDに関連するバッファリング遺伝子群の発現レベル、すなわち腫瘍の「現在の活動状態」を測定します。このスコアは、腫瘍が今現在、HRDの状態にあり、DNA損傷を引き起こす化学療法に対して脆弱であることを示すことができるバイオマーカーなのです。

臨床試験データで示された驚異的な予測性能

SLMHRDスコアの有効性を検証するため、複数の独立した臨床試験(SCAN-B、BrighTNess、I-SPY2など)に参加したトリプルネガティブ乳がん患者のデータが解析されました。

  • 生存期間との関連:化学療法を受けた患者において、SLMHRDスコアが高いグループは、低いグループに比べて全生存期間や無病生存期間が有意に良好でした。
  • 治療奏効率との関連:術前化学療法において、SLMHRDスコアが高い患者ほど、がんが完全に消失する「病理学的完全奏効(pCR)」に至る確率が一貫して高いことが示されました。

既存の指標を凌駕するパフォーマンス

SLMHRDスコアは、これまでHRDの状態を評価するために用いられてきた3つの既存の遺伝子発現シグネチャ(CIN70、BRCA1ness、RPS)と比較されました。その結果、評価された14のデータセットのうち12で、SLMHRDスコアが最も優れた予測性能を示しました。この成果は、腫瘍の「過去」ではなく「現在の脆弱性」を捉えることの重要性を明確に示しています。

結論

この研究は、腫瘍の「今」の状態を知ることにより治療反応性を予測するバイオマーカーを示しました。これにより、がんの生存戦略そのものを標的とする、よりよい新薬を設計できるようになるかもしれません。