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なぜ男性は短命なのか? Y染色体の消失が引き起こす影響とは

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Bruhn-Olszewska, Bozena et al. “The effects of loss of Y chromosome on male health.” Nature reviews. Genetics vol. 26,5 (2025): 320-335. doi:10.1038/s41576-024-00805-y

平均的に男性の寿命が女性よりも短いことは、古くから知られている事実です。社会的な要因や生活習慣の違いがその一因とされてきましたが、その背後には、これまで見過ごされてきた生物学的要因が存在するかもしれません。それが、加齢とともに多くの男性の体内で静かに進行する「Y染色体喪失(Loss of Y chromosome, LOY)」と呼ばれる遺伝子変異です。これは単なる老化の兆候ではなく、男性の健康を根底から揺るがし、男女間の寿命格差を生み出す隠れた原因である可能性が、近年の研究によって明らかになってきました。

キーポイント

  • 非常に一般的な変異: Y染色体喪失(LOY)は、男性で最も一般的に見られる後天的な遺伝子変異であり、特に40歳以降、年齢とともに急激に増加します。
  • 生活習慣が影響: 喫煙などの特定の生活習慣や、環境中の有害物質への曝露がLOYのリスクを高めることが示されています。
  • 主要な疾患との関連: LOYは、がん、心血管疾患、アルツハイマー病といった男性が罹患しやすい主要な疾患のリスク増加と因果関係があることが研究で示唆されています。
  • 寿命格差の鍵: この変異は男性の免疫システムの機能を変化させ、全死亡リスクを高めることから、男女間の平均寿命の差を説明する主要な生物学的要因である可能性があります。

1. 体内で静かに進行する遺伝子変異

Y染色体喪失(LOY)は非常に一般的でありながら、その重要性は約10年前までほとんど見過ごされていました。LOYは遺伝するものではなく、男性が特に中年期以降に獲得する後天的な(体細胞の)変異です。これは、私たちの体内で静かに進行する変化なのです。

1.1. Y染色体喪失(LOY)とは何か

Y染色体喪失(LOY)とは、男性において最も頻繁に発生する後天的な遺伝子変異です。細胞分裂の過程でエラーが起こり、一部の細胞、特に血液細胞がY染色体を失ってしまう現象を指します。

この変異は常に「モザイク状」に発生します。つまり、体内のすべての細胞がY染色体を失うわけではなく、Y染色体を持つ正常な細胞と、それを失った細胞が混在した状態になるのが特徴です。

1.2. 驚くべき有病率

LOYの有病率は年齢と非常に強い相関関係があり、40歳以上の男性で指数関数的に増加します。その頻度は驚くべきレベルに達します。

  • 65歳以上の男性の約40%*が、検出可能なレベルのLOYを持っています。
  • 93歳までには、男性の57%が血液細胞の少なくとも10%でLOYを示します。

1.3. 最も影響を受ける細胞

LOYは、特に細胞分裂が活発な組織で顕著に見られます。その代表例が、造血細胞(血液細胞)やミクログリアです。一方で、口腔内の細胞など、他の組織ではLOYの頻度は比較的低いことが報告されています。

年齢が最大の要因であることは間違いありませんが、それだけが要因ではありません。生活習慣も、この遺伝子の消失プロセスを加速させる可能性があるのです。

2. 生活習慣がY染色体の消失を加速させるかもしれない

LOYの発生に影響を与える修正可能なリスク要因を理解することは、非常に重要です。なぜなら、それは私たちが自らの健康を守るために、何らかの対策を講じることができるかもしれないからです。

2.1. 喫煙:最大の環境リスク

年齢に次いで、LOYと最も強く関連する要因は喫煙です。研究により、喫煙とLOYの間には明確な関係があることが示されています。

  1. 相関関係: 現喫煙者は、過去の喫煙者や非喫煙者と比較して、血中でのLOYの割合が有意に高いことが報告されています。
  2. 用量依存性: 喫煙は、その量や期間に依存してLOYに影響を与えると考えられています。
  3. 可逆性: 禁煙することで血中のLOYの発生率が徐々に低下する可能性が示唆されています。この可逆性は、LOYを持つ血球クローンが永続的なものではなく、常に新しい細胞と入れ替わっている動的なプロセスであることを示唆しています。健康的な生活習慣は、この細胞のターンオーバーにおいて、Y染色体を失った細胞が優位になるのを防ぐ可能性があります。

2.2. 環境有害物質への曝露

喫煙以外にも、私たちの周囲に存在する様々な化学物質がLOYのリスクを高めることが示唆されています。研究では、ヒ素、除草剤に含まれるグリホサート、そして大気汚染物質への曝露が、造血細胞におけるLOYと正の相関関係にあることが報告されています。これは、私たちが日常的に接する環境が、ゲノムの安定性に直接的な影響を及ぼしうることを示しています。

これらの外部要因は、体内で免疫システムに深刻で多様な影響を及ぼす細胞の変化のきっかけとなります。

3. 免疫システム:LOYがいかにして体を弱体化させるか

一見すると小さなY染色体の喪失は、体の防御システムを乱すことで、影響を及ぼします。LOYは単に免疫システムを弱体化させるだけではありません。他の免疫細胞の働きを抑制する影響も与えるのです。LOYの影響は一様ではなく、どの種類の免疫細胞で発生するかによってその影響が大きく異なります。これは「多面的効果」として知られ、免疫システム全体のバランスを崩す原因となります。

3.1. 細胞ごとに異なる影響(多面的効果)

LOYは、Y染色体上の遺伝子だけでなく、他の常染色体上にある数百もの遺伝子、特に免疫防御に不可欠な遺伝子の発現を異常に変化させます。これらは免疫チェックポイント遺伝子と呼ばれ、免疫細胞の「ブレーキ」のような働きをします。普段は免疫が暴走しないように機能しますが、LOYはこのブレーキの効き具合を変化させてしまいます。それにより、細胞の種類によっては、免疫の機能が正常と正反対になることさえあります。

  • 抑制効果: がん細胞などを攻撃する細胞傷害性T細胞(CTL)よりも制御性T細胞(Treg細胞)増加します。これにより細胞の機能が抑制され、いわゆる「T細胞疲弊」の状態に陥りやすくなります。
  • 活性化効果: ナチュラルキラー(NK)細胞では、逆にLAG3TIGITといった遺伝子の発現が減少し、細胞が活性化される可能性があります。
  • 複雑な効果: 単球では、免疫応答を増幅する遺伝子と抑制する遺伝子の両方に影響が及ぶため、その効果はより複雑になります。

3.2. 免疫監視機能の低下

これらの細胞ごとの変化が積み重なった結果、疫チェックポイント分子の広範な発現異常を引き起こし、体内に発生するがん細胞などを監視・排除する「免疫監視機能」を損なうと考えられます。その結果、体はがんをはじめとする様々な疾患に対して脆弱になってしまうのです。

この弱体化した免疫監視機能は、男性が直面するいくつかの主要な疾患のリスク増加に直接つながっていきます。

4. 男性の三大疾患の黒幕:心臓病、がん、アルツハイマー病との関連

近年の研究は、LOYは男性が直面する深刻な健康上の脅威ともいえる、心血管疾患、がん、アルツハイマー病の発症において、主要な原因因子であることを示唆しています。

4.1. 心血管疾患:心臓の線維化を加速させる

造血細胞のLOYは、心血管疾患(CVD)のリスクと密接に関連しています。

  • 循環白血球の40%以上でLOYが見られる男性は、あらゆるCVDによる死亡リスクが31%増加することが報告されています。
  • その主要なメカニズムは、心臓の線維化です。LOYを持つ単球や心臓マクロファージは、線維化を促進する性質を獲得します。これらの細胞はTGFβ1という物質の産生を増加させ、心筋の線維化(硬化)を加速させ、最終的に心不全を引き起こします。
  • 動物モデルの研究では、このTGFβ1の働きを抗体で阻害することにより、心臓の線維化と機能不全が抑制されることが示されており、将来的な治療法への明確な道筋となっています。

4.2. がん:免疫回避と腫瘍増殖

がんにおいて、LOYは二重の役割を果たします。

  • 白血球におけるLOY: まず、血液細胞におけるLOYは免疫監視機能を低下させ、体内に発生したがん細胞の発見と排除を妨げます。これにより、あらゆる種類のがんの罹患リスクが高まります。特に肺、大腸、膀胱など男性に多いがんとの関連が指摘されています。
  • がん細胞におけるLOY: がん細胞自体でLOYが起こると、ゲノムの不安定性が増し、予後不良と関連することがわかっています。Y染色体上にあるKDM5Dのような腫瘍抑制因子が失われることで、がんの増殖が促進される可能性があります。LOYによって腫瘍抑制因子が失われると、がん細胞は無秩序に増殖しやすくなります。
  • 具体的なメカニズム: 膀胱がんのモデルにおいて、LOYを持つ腫瘍は免疫細胞であるT細胞を疲弊させ、免疫システムから逃れる能力を獲得し、よりアグレッシブな増殖を示すことが明らかにされています。この発見は、LOYを持つがん患者が、T細胞の疲弊を回復させるPD-1阻害剤などの免疫チェックポイント阻害療法に対して、より良好な反応を示す可能性があることを示唆しています。

4.3. アルツハイマー病:脳内の炎症を引き起こす

LOYは、アルツハイマー病とも強い関連が示されています。

  • LOYとアルツハイマー病との関連は、初期の研究から報告されていました。
  • 特に、アルツハイマー病患者の脳内では、脳の免疫細胞であるミクログリアにおいてLOYが著しく増加していることがわかっています。
  • 仮説として、LOYを持つ末梢の免疫細胞(特に高い頻度でLOYを示すことが分かっているNK細胞など)が脳に侵入する、あるいはLOYを持つミクログリア自体の機能不全が、アルツハイマー病に特徴的な慢性的な神経炎症の一因となっている可能性が考えられています。

5. 結論:男性の寿命の謎を解く失われたピース

Y染色体喪失(LOY)は、単なる加齢の指標(バイオマーカー)をはるかに超える存在です。というのは、免疫システムとゲノムの安定性に全身的な影響を及ぼすことで、広範な疾患の発症に関与するからです。

これまで謎に包まれていた男女間の平均寿命の格差について、LOYこそがその主要な説明要因である可能性がでてきています。女性が2本のX染色体を持つことで遺伝的な安定性を保つのに対し、男性は唯一無二のY染色体を失うリスクを抱えているのです。

LOYの謎を解明することは、単に男女の寿命格差を説明するだけでなく、男性の老化そのものを再定義する治療戦略への道を切り開くかもしれません。