Genomics PR

なぜ男性のがんは深刻化するのか?Y染色体の消失が免疫システムを無力化するメカニズム

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

Chen, Xingyu et al. “Concurrent loss of the Y chromosome in cancer and T cells impacts outcome.” Nature vol. 642,8069 (2025): 1041-1050. doi:10.1038/s41586-025-09071-2

Y染色体は、単に生物学的な性別を決定する遺伝情報を持つだけではありません。最新の研究は、この小さな染色体が、がんとの闘いにおいて、重要な役割を担っていることを明らかにしました。多くの男性は加齢とともに、血液細胞をはじめとする体細胞でY染色体を失う「Y染色体消失(LOY)」という現象を経験します。長年、このLOYが、なぜがんによる死亡率の上昇と関連しているのかは大きな謎でしたが、Y染色体の消失により、がん細胞だけでなく、がんを攻撃するはずの免疫システムも無力化させていたことが明らかになりました。

キーポイント

  • Y染色体の消失(LOY)はがん細胞だけでなく、がんを攻撃するはずの免疫細胞(T細胞)でも同時に発生している。
  • LOYはT細胞の機能を著しく低下させ、がんへの攻撃能力を失わせるか、あるいは免疫を抑制する働きに変えてしまう。
  • がん細胞とT細胞の両方でLOYが起きている患者は、生存率が最も低い群になる。

1. 問題はがん細胞だけではなかった

本研究における最も重要な発見は、Y染色体の消失(LOY)という現象が、がん細胞だけでなく、腫瘍を取り巻く微小環境全体にも広がる、ということです。

研究チームが29種類のがん組織を横断的に解析したところ、LOYは悪性の上皮細胞(がん細胞)だけでなく、腫瘍内に侵入してがんを攻撃するはずの免疫細胞においても、高い頻度で発生していることが明らかになりました。さらに、「がん細胞におけるLOYの発生率が、同じ腫瘍内に存在する良性細胞(免疫細胞など)におけるLOYの発生率を予測する」ほど、両者の間に強い相関関係が見られました。

この発見は、LOYが腫瘍微小環境という一つの生態系の中で連動して進行する現象であることを示唆しています。研究者らは、この相関関係を説明する2つの有力な仮説を提示しています。一つは「優先的誘引」モデルで、LOYを起こした腫瘍細胞が、すでに血液中に存在するLOY免疫細胞を特異的に引き寄せるというもの。もう一つは「誘導」モデルで、LOY腫瘍細胞が、腫瘍内に侵入してきた正常な免疫細胞にY染色体の消失を積極的に引き起こすというものです。これらの仮説は、がんという病態を、がん細胞単体の異常としてではなく、それを迎え撃つべき免疫システムとの複雑な相互作用の中で捉え直す必要性を強く示しています。

2. 生存率への大きな影響:がん細胞と免疫細胞が共にY染色体を失うとき

LOYが患者の予後に与える影響は、これまで考えられていた以上に深刻でした。今回の研究は、LOYががん細胞と免疫細胞の両方で発生することが、患者の生存率に大きな影響を与えることを臨床データで示しました。

解析の結果、がん細胞(上皮細胞)と、T細胞(CD4+またはCD8+)の両方でLOYのレベルが高い患者群が、最も生存期間が短く、予後が悪いことが明らかになりました。さらに、多変量解析によって、がん細胞のLOYとT細胞のLOYが、それぞれ独立したリスク要因として生存率を悪化させていることも明らかになりました。

つまり、一方ではがん細胞自体が(LOYによって)より悪性度を増し、もう一方では、それを叩くべき免疫細胞が(同じくLOYによって)弱体化するという、2つの悪いメカニズムが患者の体内で起きていたのです。この知見は、将来のがん治療において、患者のリスクをより正確に層別化するための新たなバイオマーカーとして、Y染色体の状態を評価することの重要性を示唆しています。

3. Y染色体はどのように免疫の「ブレーキ」をかけるのか?

Y染色体を失ったT細胞では、何が起きているのでしょうか。その影響は、T細胞の種類によって異なっていました。

  • CD8+ T細胞(キラーT細胞): これらの細胞がLOYを起こすと、細胞傷害性やT細胞受容体(TCR)シグナル伝達に関連する遺伝子の発現が著しく低下しました。その結果、細胞は「ナイーブ」な状態に戻ってしまいます。これは、細胞障害性が低下するだけでなく、これまでの免疫応答の記憶を失うような状態です。
  • CD4+ T細胞(ヘルパーT細胞): これらの細胞がLOYを起こすと、細胞が「疲弊」した状態を示すシグネチャや、免疫応答を逆に抑制してしまう「制御性T細胞(Treg)」の表現型が亢進しました。これは、応援に来たはずの他の免疫細胞を働けない状態にしたり、妨害したりする状態です。

このように、LOYは免疫の最前線で戦うT細胞を機能不全に陥らせることで、がん細胞が免疫の監視から逃れ、増殖していくのを手助けしていたことが明らかになりました。

4. 血液中のLOYが意味するもの

血液検査でY染色体の消失が見つかる男性は、がんによる死亡リスクが高いことが知られていましたが、その背後にあるメカニズムは長らく不明でした。本試験において、患者の腫瘍組織と血液サンプルを比較したところ、腫瘍内に存在するT細胞や骨髄系細胞は、同じ患者の血液中の細胞に比べて、LOYの割合が著しく高いことが明らかになりました。さらに、腫瘍内の免疫細胞のLOY率と、血液中のLOY率の間には、明確な相関関係も確認されました。

この発見は、腫瘍微小環境がLOY現象がおこる主要な要因であることを示唆しています。血液中に存在するLOYを持つ免疫細胞が腫瘍内に優先的に引き寄せられているのか、それとも腫瘍環境が侵入してきた免疫細胞にLOYを誘発しているのかは、今後の研究課題です。しかし、いずれのシナリオであれ、血液検査で見つかるLOYは、単なる加齢現象ではなく、体内で進行するがんとの闘いで免疫システムが機能不全に陥っていることを示す、極めて重要なシグナルであることが示されたのです。

5. 将来への影響:個別化医療からデモグラフィック要因まで

  1. 未来のがん治療への示唆: TIL療法やCAR-T細胞療法など、患者自身のT細胞を体外で増強してがんと戦わせる免疫療法に、本研究は重要な示唆を与えます。もし治療に用いるT細胞にLOYが高い割合で含まれていた場合、その治療効果は著しく低下する可能性があります。将来的には、これらの治療を行う前に患者のT細胞のY染色体の状態をスクリーニングすることが、治療効果を予測し、個別化医療を実現するために不可欠になるかもしれません。
  2. 人口統計学的要因との関連: LOYの発生率が、生物学的な要因だけで決まるわけではないことも示されました。研究データは、LOYが年齢(高齢ほどLOYが多い)、人種(アフリカ系アメリカ人の患者で最もLOYの程度が強い)、さらには生活習慣と関連していることを明らかにしました。特に、頭頸部扁平上皮がん(HNSC)などにおいて、喫煙歴のない患者は、現在または過去の喫煙者に比べて、有意にY染色体の消失が少ない(YchrSスコアが高い)ことが示されました。これは、LOYが単なる遺伝的な問題ではなく、環境要因や社会経済的な背景を含む、より広範な健康要因と結びついている可能性を示しており、予防医学の観点からも重要な知見です。

おわりに

本研究が明らかにした知見は、「Y染色体の消失は、単にがん細胞をより攻撃的にするだけでなく、それを迎え撃つはずの免疫システムをも同時に弱体化させてしまう」という点です。これまで別々の現象として捉えられてきた「がん細胞の悪性化」と「免疫細胞の機能不全」が、LOYという共通のメカニズムによって結びつけられていたのです。